行ったことのない場所に足を運ぶと発見があります

今年の初めに、久しぶりに通る道で車窓からふと目に留まった神社の案内板。

数年前にも気になって、足を運ばずにいた神社で、先日やっとお参りすることができました。

境内はとてもきれいに掃除がされていて、裏に回ると弥生時代の住居跡がありました。

昭和25年に発掘された南九州で初めての竪穴式住居の発見だったそうです。

鹿児島大学の構内までその遺跡は点在していて、鹿児島大学構内でも発掘作業が行われています。

学生のころは近くに通っていたのに、今までそんなことも知らずにいました。

わたしたちが生活している1m下の地面に、弥生時代の方たちが住んでいたようです。

南九州にも縄文文化があったということの方が印象に残っていて弥生文化もこんな近くにあったとは思ってもみませんでした。

 

わたしたちの先祖となる人たちが住んでいた場所に、その後の歴史が続き、江戸、明治、大正、昭和、平成と現在まで続いて、今年また新しい時代の幕開けになります。

命を受け継ぎ、人々の生活が続いていて、今になっているのですよね。

 

鹿児島に住んで相当な年数になりますが、まだまだ知らないことが沢山あります。

私の場合、いつも、歩いていも目的地に向かって脇目も振らず進む傾向があるので、バスや自動車などの乗り物で移動すると、さらに見過ごしている景色や史跡やお店など沢山あるのでしょう。

 

知っているようで、実は知らないことがあるのに、いつも同じパターンの繰り返しでは氣がつかないのですよね。

いつものパターンとは何か違う行動をしたときや、本当に意識的に行動した時に氣が付くのです。

 

今まであったお店が取り壊されて更地になったときも、頻繁に通る道だったのに、何のお店があったのか思い出せないこともあります。無意識に歩いているので、見ているようで見ていないし、記憶に残っていないのです。

 

意識的になることで、発見・氣づきが起こります。

 

そして、あなたの内側には、まだまだ自分が氣がついていない才能や能力がある可能性も高いのです。あなたが自分と思っている自分は、ほんの一部分でまだまだ隠されている可能性がありますよ。

自分の内側に意識的になることで、あなた自身の発見・氣づきがあります。