知識や過去の経験に捉われると自分を制限する可能性もあります

知らないことを新しく知ることが楽しく感じられたり、何かの資格を取ることが趣味だったりする方もいますね。職種によっては専門的な知識が必要で、国家資格が必要なものもありますが、ある種の分野で成功している方の中には、資格と言えるものは持っていないけれども、自分の経験の積み重ねで学び技術としている方もいます。

 

資格や知識があることで、様々な面で助けになることは勿論ありますし、持っているに越したことはありません。でも、なければならないものでもなく、なくても生きては行けます。そして、知識があることでわたしたちの氣づきや発見を邪魔する可能性もあるのです。

 

あまり多くのことを知らない子どもの頃は、見るもの聞くものすべてに感動して、感情と共に記憶したことは忘れにくくなり記憶に留まります。そして、何も知らないからこそ、自由な思考でイメージを膨らませることもできますし、可能性が拡がります。

大人になるにつれて経験から学んだことも、知識として学んだことも増えるにしたがって、だんだんと感動することも減って『ああ、それ知ってる~、前に聞いたことある。』とか、『前にその映画を見た時、面白くなかったからもう今回はいいや~』とか、過去にその情報を知っているので、もう新たに学ぶことはないというような態度をとると、今回、同じことを経験する機会に出会ったということは、何かのサインの可能性もあるのに、その機会を自分でパスすることや、氣づく機会をパスする可能性もあります。

 

その知識を得た時と、成長した今の自分では感じるものや氣づくことが違う可能性があります。子どもの時に読んだ本でも、大人になって改めて読んでみると、違った視点から観ることができ氣づきや、感じるものが違うと言った経験をされた方も多いでしょう。

または、その知識を得た時と同じような感動や喜びを思い出すこと自体が必要なのかもしれません。知識があると、似たようなもので違うものでも、『それは知っていると』と処理してしまうことも有るでしょう。

そして、なによりも、知識があることでその知識に捉われて、自由な発想や新たな発見が制限されてしまいかねないのです。

 

セラピストの養成講座を再受講なさる生徒さんも『前に学んだことだから』と思って受講すると、形だけただ受講したというだけになってしまいますが、初めて学ぶ氣持ちになってこれまでのことを一旦脇に置くことで、新たな氣づきが起こり、「前に学んだことは本当に表面的な理解で今回の受講でさらに氣づきがありました」という感想になります。

それでも、本当に初めて学んだ時のようにはなりませんが、客観的に観ることで最初に学んだときの自分と、今学んでいる自分とを観ることもできると、違う氣づきが起こります。

 

知識がないからと思って新たな1歩を踏み出せないならば、知識がないからこその自由な発想ができ制限が無いことを強みにして、行動しながら必要な知識を得ていくこともできます。そして、自分に知識が無いときは、知識を持っている人の助けを借りることで、より可能性は広がります。

 

わたしたちが1度経験したことや得た知識から学ぶことは沢山ありますが、それに捉われる必要もありません。経験は過去の自分が経験したことで、今のあなたが経験すると違った氣づきがあり、違った学びにもなる可能性もあります。

ですから、あなたが既に持っている知識や経験にもこだわらずに、今のあなたが経験していることに意識を向けてみることで新たな発見や氣づきを得て、より自由になれる可能性がありますよ。