教えることと学ぶことは実は同時に起こっています

先日、学力日本一といわれる秋田県東成瀬村の東成瀬小学校の学習方法がTV番組で紹介されていました。

机の大きさを大きくするなどの多くの外的な学習をしやすい環境づくりのほかに、生徒同士で教え合うことや使い終わったノートの展示など様々な工夫がこらされていました。

 

その中の生徒同士で教え合うという内容ですが、教えるには自分が本当に理解していないと教えることは難しく、また、教えることでさらに自分の理解も深まります。

この行為は、教えることと学ぶことは同じことであるという理解があります。

 

教えることで、そこに新たな氣づきがあり学ぶことになります。

学ぶ立場であっても、教える立場の人に氣づきを与えることもあります。

「教師」や「先生」と呼ばれる立場になるとき、気を付けることは権威的にならないということです。

「先生」が偉いわけでも「生徒」が偉くないわけでもありません。

これは、「教師」「先生」と呼ばれる人だけなく、「社長」や「部長」などのような役職名も同じです。

役職の場合は、仕事内容に責任の度合いが違ってくるだけで、人としては同じです。

「先生」や「社長」と呼ばれる人の中には、生徒や社員が委縮して言いたいことが言えなくなる可能性もあるからという理由で、「さん」づけで呼ぶようにと呼びかけている人もいます。

 

そうすることで、周囲の声を拾いやすくなり、社長であれば会社の改善に役立ち働きやすい環境をつくり、上の命令で動くのではなく、みんなで会社を作っているという意識を持ちやすくなり、実際業績も急成長し始めています。

先生の場合も、現場の声を拾いやすく、生徒の立場の人も相談しやすくなったりするために、状況把握がしやすかったり先生自身は生徒目線で自分自身をみることもしやすくなります。

 

教える立場や役職名がつく立場の人こそ、謙虚さが必要なのです。

そうすることで、より学ぶことができ成長することが可能になります。

自分は「偉い」「凄い」と思った時に成長はストップします。

ストップするだけならまだ良いですが、そこから後退し始める可能性もあります。

権威はと外側の誰かに見出すものではなく、本来の自分自身にみんな権威があり、それは尊厳に近いものでもあります。

 

あなたの周りにいる人みんなが教師であり、氣づきを与えてくれる存在でもあります。

また、あなたは気づかないところで誰かに氣づきを与えているかもしれません。

わたしたちは誰もが「教師」であり「生徒」でもあります。

あなたが成長したいと思うのであれば、氣づきの種はあなたの周りに沢山あります。