感情は私たちに氣づきを与え、変化するものです

県外在住の友人が帰省した時に十数年ぶりに再会しました。その時の言葉が「やっぱり郷里はホッとするし、おしゃべりしていると嬉しくて涙が出そうでした…。」「また帰省できる日を楽しみに頑張る!」とのこと。

 

家族で帰省すると子どものことや家事でなかなかゆっくりと会う時間も取れない中での再会、それまでは年賀状とお誕生日のメッセージくらいでやり取りすることもないのに、会うと当時に戻る感覚という訳でもなく、現在の話題になるのに今まで毎日会っている友人のような何とも不思議な感覚で、繋がりや想いに時間や距離は関係ないことを改めて実感する機会となりました。

 

そして、郷里はホッとする感覚。

この感覚は、地元に住んでいるとなかなか味わうことのできない感覚で、例えば鹿児島県民が上空の機内から桜島を目にしたときに、『帰ってきた~』と、ホッとする感覚ともまた違う感覚なのでしょうね。

 

わたしたちが感じる感覚は、その人のこれまでの経験や本来の感受性、質によって大きく違いが現れます。

 

博多華丸大吉さんのお2人が、35歳まで地元にいて東京に出てきた人の郷土愛と、18・9歳で上京した人の郷土愛は全く違う。地元にいる時間が長いほどやはりそこに愛着があるとのこと。

これが、福岡に居た時間と同じくらい東京に住むと、また感じ方も変わってくるのでしょう。

 

ですから、その人がどのように感じているのかを言葉で説明しても、全く同じ氣持ちになることは難しいでしょう。でも、嬉しい氣持ち、感動している状態、楽しい氣持ちということは理解することができ、全く同じではなくても共感することもできます。

 

わたしたちが経験することによって、感じ方もともに変化が生じてきます。

過去に感じていたことは、過去のあなたはそう感じたかもしれませんが、今同じ経験をしたら過去に感じたようには感じない可能性も高いのです。過去に感じた感情を経験したあなたと、今のあなたは既に違うあなたです。

ですから、過去に経験した苦い思いや悲しみに捉われずに、今は自由に居ることもできるのです。

 

感情は、わたしたちに何かを氣が付くために必要な感覚です。

でも、その過去の感情に引き込まれて不自由になる必要はありません。

辛い経験や悲しい出来事は、わたしたちに氣づきを与え、わたしたちが生きるための力を与えるものにもなります。

誰かを想う時、その想いはあなたを勇気づけ、起爆剤となることで、“誰か”も生かされます。

 

過去の経験は、過去のあなた自身が今のあなたになるために必要だった経験で、その想いが今のあなたを創ってきたのも事実です。

 

ただ、その過去の経験に伴う感情は今はもう必要なくなっているはずです。

そして、今はその感情に対する違う感情が生まれている可能性もあり、それがあなたにもし不自由さをもたらしているのならば、手放して自由になるタイミングなのでしょう。