思い込みを手離すと相手を理解しやすくなります

今回の長雨と降水量の多さを心配した県外に住む友人・知人やクライエントから、お見舞いのメールを頂き、氣にかけて頂けることの有り難さと、みなさんの優しさを感じています。ありがとうございます。

 

一般的には報道では被害の出そうなエリアや実際に被害が起こったエリアが映し出されることで、わたしたちを含めそれを見た人が、他の情報と総合して県全体が壊滅的な状況に近いことを想像したり、逆に、他にも被害があるエリアがあるのに、報道されたエリアだけが酷い状態なのだと印象づけられたりと、その情報を受け取るわたしたち受け手の取り方によっても情報が変化して実際の状況とは違う現実が創られてしまいます。

 

わたしたちが一般的にメディアから受け取っている情報は、現地にいない人にとっては、実際にはどのような状況なのかと言うことを把握するのは難しく、やはり正確な情報を得ることは意識して自分から求めていくことが必要なのだと感じます。

 

これは、このような大きな全体的な出来事だけでなく、個人的な出来事でも同じで、人から聞いた話しというのは、その話しを聞いた人の感情や印象が付け足されていますし、そして、その話しを聞いた人に話した人の感情や印象も付け加えられて、伝言ゲームのように、元の伝えたいことから大きくズレて、全く違うことになっていることすらあります。昔からよく人の話しは尾ひれ羽ひれがつくといわれていますが、情報も似た部分があります。この情報というのは、個人的な場合では、経験していることの状況や、関わっている人其々の思いなどになります。

 

その場で実際に同じ状況を経験していても、感じ方は人其々違いますし、状態も様々になってきます。それにも書かわらず、自分1人の見方で相手のことを想像したとしてもやはり想像にしかすぎず、本当にはどのように思っているのか、感じているのかということは分かりかねます。

 

ですから、わたしたちは、相手のことを完全に理解することは難しくても理解しようとすることはとても重要になります。自分1人の思い込みで『こうしてくれるはず』とか『こうしてくれるべきだ』などというフィルターを通して相手を見ていると、誤解が生じますし、お互いに理解し合うことも難しいでしょう。

相手の立場になって考えるということも良く言われますが、立場を変えたとしても、相手が感じているようには感じることも難しいものです。

だからこそ、実際に話しをしたりしてコミュニケーションをとることで、相手の情報を集めて相手がどのようなものの考え方、ものの捉え方受け取り方をするのかと言うことを知っていくことで相手を理解していくことになります。

ただし、これは、思考を通した理解のしかたで、言葉や行動などからも情報をえることができて、言葉と行動が一致しない場合は、本音ではない可能性もあるなど、感覚を通して相手を理解することもあります。

 

わたしたちは、理解しようとするとき、自分の中のフィルター(思い込みなど)を通さずに、ありのままの状態を観て感じることが必要です。

理解するということは、知識や思考の領域だけでなく、あなたの感覚も使うことが必要です。そうすることで、その情報をどのように扱うことが適切なのかが分かるでしょう。