必要な我慢と必要でない我慢の差

イベントも含め最近のクライエントの共通しているテーマは、思い込みや刷り込みから自由になるということなのですが、平成から令和になって、時代の変化とともに、今までの常識や概念、システムなどの変化がさらに加速しているようです。

その大きなエネルギーのなかで、個人的にもこれまでの状況で何か我慢していたり、違和感を持ちつつなんとなく今まで通りにしていたりした方も、『やっぱり違う』という内側の声に従い行動される方が増えているようです。

 

先日も友人から、「今まで夢として思っていたことを、ついにやってみることにしました」と連絡を頂いたところで、本当に新しい時代、個人レベルでは新しいステージに移行しているのだなぁと感じます。

 

良い意味でしなくて良い我慢をしなくなっているのかもしれません。

常識とか世間体を氣にして行動できなかった方たちも、理由は分からないけれども動く必要性を感じたり、自然と周りからの働きかけもあって動くことになったりと今までと違う流れが起き始めています。

 

必要ではない我慢は「間抜けな我慢」とも言うそうで、必要のない我慢をすることは病気になる(ストレスがかかるので)と。(「がまん」から“ま”をぬくと…)

病気の原因が全てストレスという訳ではありませんが、それにより、生活習慣病メタボリックシンドロームが増えていったり、心療内科が必要な時代になったのでしょうね。

これまでの根性論なども、必要ではない我慢も多かったのでしょう。

過去の常識は、研究が進み今では間違った知識となっていることも沢山あります。

必要ではない我慢は、あなた自身を重く不自由にしているものです。

 

必要な我慢は、自分を成長させて自分を強くしてくれるものです。

本当はその状況から逃げて自分を大切にして守ることが必要なのに、『逃げてはいけない』という自分の内側の声ではなく、常識だからとか周りから言われて我慢している場合、それは必要のない我慢です。

必要な我慢をしているときは、今この我慢をすることで、この状況の先に望むものが得られるというような、ワクワクする感覚があり、内側で力強く前に進むエネルギーとなるものです。

好きなことをしている場合には、必要な我慢を経験することで成長していきます。

 

「我慢する必要はない」というと、スピリチュアルの世界で『好きなことだけをしていればいい』という、ちょっと誤解されて都合よい解釈で広がった文言がありますが、『好きなことだけ』をということではなく、好きなこと・興味が向くことを仕事としてすることが使命を果たすことに沿いやすいと言うだけで、『楽をして』とか『面倒なことは避けて』ということは言っていません。

好きなことを仕事にしていても、大変なことや向き合うことが必要なことはどうしても出てきます。そのことと取り組むことで成長して器を拡げることが出来る、わたしたち自身が磨かれていくということなのです。

 

あなたを重くして不自由にする、する必要のない我慢を手放し、あなたの内側の声を聴きあなたらしく軽やかに生きるとき、必要な我慢はもはや我慢ではなく、ワクワクとして道を進んで、ただ必要な経験をしているだけの感覚になっていることでしょう。