完璧主義者には、ある程度できたところでOKをだしたり、「~ねばならない」という思い込みや刷り込みで、自分自身に強制させる癖があったりする場合には、そうできなかったときなどに「まっ、いいか」というこの言葉はとても助けになります。
完璧主義者といっても、違う見方からすると「こだわり」に近かったりもするので、他の人から見ると、『そこにそんなにこだわらなくても良いんじゃない?』という部分へのこだわり、完璧主義の場合には、ある程度出来ているからそれで“良し”という、その人なりの許容範囲の基準を満たしましたという言葉として使えます。
ただ、これはこだわりがあって、細かく氣になったり、捉われているときに、余裕を持たせてくれる言葉ではありますが、そうでない方たちにとっては、少し注意が必要になります。
本当は、丁寧にすることが必要なのに、手を抜いて「まっ、このくらいいいか」と言うように、基準を甘くする言葉として使っている場合などは、この小さなズレが大きなズレを呼ぶことになりかねません。
昨日、少し触れました(毎日の小さな幸せの積み重ねが未来を創ります)が、毎日の小さな積み重ねが未来を創っていくということですが、幸せだけでなく、ズレも積み重なります。
ですから、日常の小さな手抜きやズレが、積み重なって大きなズレになります。
例えば、分度器で1度を測って線を引いたとします。
ひき始めの1度と、10センチ先の1度では、同じ角度でも開きが大きくなっていることを今までに目にしたことがあると思います。
10センチ先を10日先とすると、1日では、小さなズレだったものが、10日先では、大きなズレになるということです。
お菓子やパン作りも、材料の分量を量るときは、グラム数だけでなく小数点以下のミリグラムがとても重要になります。少しの違いで、きれいに膨らまずに硬い出来上がりになったり、口当たりの悪い出来上がりになり美味しくなくなります。
その日のズレはできるだけ早目に、出来ればその日のうちに修正しましょう。
修正が出来ずに蓄積していくことで大きなズレとなるのですが、小さくずれたときは、氣が付きやすいのです。なぜならば、ずれる前の位置にいたわけですから、ずれた時の違いを感じやすいのですが、ズレが蓄積しているときは既にズレているので、ずれていることに氣が付きにくくなります。
その時は、コンサルテーションで本来のあなた自身と今の状況を確認することが必要になります。
そして、あなたがズレていたならば、あなた自身が持つ質と才能で、そのズレをあなた自身で修正することが可能です。
なぜならば、あなた自身がずらしたものならばあなた自身がどのようにすることで戻れるのか知っているし、そして、ズレる前のあなた自身の感覚も知っていますからズレを修正し本来の自分自身に戻れたことも分かります。
毎日を丁寧に過ごすことは、あなた自身を大切にして、あなたの質を活かすことですが、ズレを都度修正していくことでもあります。
小さなズレの修正は少しのエネルギーだけですぐにできます。
積み重ねて良いものだけ積み重ねていきましょう。
それが毎日を丁寧に過ごすことになり、その結果、あなた自身でより幸せな未来を創ることになります。