器を拡げると人としての魅力が増します

3月に蒔いたパフリカの種を5月に大きなプランターと少し小さめのプランターに植え替えしました。その後、順調に成長して、小さなプランターの方も花芽はついたものの、大きなプランターと2回りくらいサイズが違い、なかなか大きくならずに氣になっていました。

そして、ついに根詰まりしたようで、底の水抜き穴から根っこが伸びてきているのに氣がつきました。成長段階は同じなのにサイズだけがプランターに合わせたサイズで成長していました。

 

「器の大きな人」とか「度量の大きな人」と言いますが、器が大きいと受け取るものも大きくなるので、よく「器を拡げましょう」といわれますが、受け取れるだけでなく、器に合わせた成長になるし、それでも成長した時には、器を壊して根が張りだしてきます。

 

では、この器って何でしょう。

辞書では「器」は、才能と人格。器量。人物の大きさ。とあります。

「度量」は、長さを測る物差し。容積を測る桝。他人の言葉を受入れる寛容さや広い心。とあります。

 

「器の大きな人」や「度量の大きな人」と言うのは、細かいことを氣にしない人で、人からの指摘を素直に受け入れることが出来たり、人を許すことが出来る人、こだわらない人と言えるかもしれません。

「器量」とは、物事を成し遂げる才能や能力。あることをするのに相応しい能力。

ですが、見た目の才能として「顔立ち」「容貌」という意味も含まれます。

 

一般的には、見た目の才能よりは、心の大きさなど人格としての意味として重視されがちですが、見た目も勿論才能ですから、活かすことが出来ますし、内面が成長して変化するとそれに伴って、見た目の才能も成長します。

外側に表れるものは内側の反映ですから、内面が磨かれると顔も魅力が増していきます。

年齢を重ねて、若い時よりも魅力的な顔立ちになった人は、人としての器を拡げ磨いてきた証です。

 

また、器が小さくても、そのなかで小振りながらもしっかり成長している時、余裕がある器よりも厳しい環境で成長をし、器(プランター)を壊すほど根を張る時は、さらに大きな強さを必要とするのでしょうが、その力は、余裕のない厳しい環境で成長してきたからこその鍛えられた生命力・エネルギーなのでしょう。

ただし、違う見方をすると、溢れ出しているということは、容量オーバーで機能しなくなっているということも有りますので、やはり器を拡げることが必要になります。

 

わたしたちは自分で自分を磨くことは出来ます。

細かいことにこだわらない人は、大きな視点を持ち俯瞰して観たり、長い目で観たりしている場合もありますし、本質的に重要でなければ受け流すことが出来ます。

大きな器で余裕があることにより、受け入れやすいということもあるかもしれません。

 

何れにしても、この「器の大きさ」「度量の大きさ」は、その人の魅力となるものです。

わたしたちが、わたしたちらしく在り、自分がすることをどのようにするかと言うことに意識を向けてなしていくことで、その魅力は増して同時に器を拡げることが出来るでしょう。