何かを変えたければ実践しましょう

高野山の僧侶の方がお聞きした話しです。

「病気で臨死体験をしたときに身内の僧侶の方が自分のために回復を祈って毎朝、お経を唱えていてくださっていたようで、それが、自分のために祈ってくれているということが分かりました。 大勢の人が、大きな川を渡ろうとしていているので、日常ではそのように大勢の中にいて、お経が聞こえたとしても自分のためになんてわからないはずなのに、魂となっているときには、それがはっきりと自分のためだということが分かりました。なので、奇跡的に回復した自分も、感謝とご先祖さまに向けて、墓前でお経を唱えています。」とのことでした。

詳しくはこちら  https://www.youtube.com/watch?v=SE-eoK0y7es&feature=emb_logo

姿は無くても、魂のレベルでは、繋がっていて想いは届いているのですね。

 

また別の例では、交通事故にあって、同じように臨死体験をした人が、肉体から離れた魂となった自分が救急隊によって処置がされている自分の身体を上から眺めていると、自分の車に向かって美しい光の帯が流れていて、それがどこからなのか光をたどっていくと、自分の車が巻き込まれた事故によって渋滞しているその後ろの方から、事故にあった人が無事であるようにと、自分のために祈ってくれている人から流れていたのを画にしたそうです。

 

このようなお話しは、信じない人も多くいると思いますし、信じるか信じないかは自由ですのであまり重要ではないのですが、大事なことは、目に見えない世界では、誰かのために祈るという行為は、その人に対して思いやりを実践するということです。

現実社会・物質社会では、祈るばかりでは何も変わらず、実際に行動することが重要視されますが、自分の事ではない他人事として、無関心で何もしないことの方がより悲しく実践的ではないことでもあります。

誰かを想い、祈ることも実践や行為です。そして、それを毎日続けることは修行の1つともなっています。

 

智恵や知識があっても、それを現実社会では実践することが無ければ、何も知らないのと同じです。

また、そこには私たちの成長もありません。

そして、何かを実践するとき、そこに関わる人や相手のことを想って行動、実践することで、その想いは関わる人に届きます。

 

職人さんが使う人のことを想って心を込めて・魂を込めて作った作品は、そのエネルギーが残りますから、使う人にも伝わり、大事に丁寧に取り扱うのと同じです。

暖かさと思いやりと持って実践することで、私たちは成長して磨かれていきます。

それは、日常の細やかな実践の積み重ねでも可能で、その積み重ねがあなたを成長させていきます。

そして、実際に実践してみないことには分からないことも多いものです。

考えていばかりいても、何も変わりません、

氣がついたこと、得た知識があるならば、実践してみましょう。

そうすることで、あなたの人生は変わり始めますよ。