なくしたものが意味するものは何か

昨日、大切なものをなくした時の氣持ちの切り替えのお話しをしましたが、今日はその続きです。

 

その後、なくしたと思っていた大切なものを、無事に見つけることが出来たとのこと。

なくしたことに氣が付くまでの自分自身を振り返ることで、今何が必要なのか、そして、時間に追われて見失っていた大切なことやものに氣がつくことが出来て、自分自身がどのようにあることが必要なのかと言うことに氣がつき手放した途端に、なくしたと思っていたものが見つかりました。

今回のなくしものは、一度姿を消すことで氣づくこと、そして、それに関する心の準備をすること、人生におけるステージの変化を教えてくれる役目だったようです。

 

氣づきを得てから氣持ちを切り替えて手放し、その後すぐに戻る場合もあるし、ある程度の期間を置いてから戻ってくる場合もあります。また、やはり見つからない場合もあ

ります。

だからと言って、見つかったから良いとか、見つからなかったから悪いなどということではなく、どの場合であっても、その経験を通して今までは氣がつかなかったことに氣がつける機会となります。

そして、戻ってきた場合は、氣づきという付加価値がついた状態になります。

戻ってこない場合は、物質的なものはなくなったとしても、そこにはお金では手に入れることのできない、経験をすることでしか氣がつけない氣づきが残ります。

ある意味、物質だったものが目には見えない形に姿を変えただけなのかもしれません。

(お金もエネルギーが物質化しているだけですので、“経験する”ということと“無くしたもの”を交換したのかもしれませんね。)

 

手元に戻ってこないものは、手放すことが必要でそのタイミングだったと思うことで、その状態に引っ張られたり囚われたりすることがなく、意識を“今ここ”にもってくることがしやすくなります。

そして、その経験にどのような意味があったのかは、あとから分かることでしょう。

 

あなたが、とても大切にしていたものならば、それだけのエネルギーを持つものですから、あなたにとってとても重要な氣づきが必要なのかもしれません。

ですから、どのような意味があるのかを探すのではなく、どのように大切なのか、そして、なくしてしまうまでの自分の状態を振り返って確認してみましょう。

そうすることで、ベストタイミングでわかる時には分かります。

 

わたしたちは、目にみえるものに執着しがちになりますが、大切なものが姿を消しても想いや思い出は、わたしたちの中に残っています。目に見えることで思い出す機会になったり思い出しやすかったりもしますが、そのものが無くても、思い出すことも想うこともできます。

 

それでも、やはり、ものにもわたしたちの想いは伝わり残ります。

大切に取り扱っているものは、いつまでもきれいで状態も良く保持されますが、そうでないものは、沢山傷がついたり壊れたりするのも早くなります。

(物質ですから、わたしたち人や体の細胞一つ一つにも想いは伝わり残ります。)

あなたの持っているものに、あなたは何を見ていますか。

 

ものをなくしたとき、あなたに何か氣づく必要があるというサインかもしれません。