『幸せ』になろうと頑張り過ぎるのは『幸せ』から遠ざかります

『幸せは、頑張らないと手に入らない』と思っている人は、幸せになろうと一生懸命に頑張り、そして頑張り過ぎる傾向になり苦しくなりがちになります。

幸せになろうと、自分のことを後回しにしてでも周囲のために動き、幸せを手に入れるために頑張っているのに、頑張れば頑張るほど苦しくなってきて『なんだか違う』と感じるようになることがきっかけで自分と向き合い始めます。

 

その方の氣づきは、「幸せは頑張らないと手に入らないと子どもの頃から刷り込まれて、そうだと自分も思っていたけれども、何氣ない毎日の中に幸せはあって、子どもが健康で無事に成長してくれることが出来るならばそれで充分幸せだし、幸せは頑張らなくても手に入るんですね。」というもの。

 

幸せを求めて頑張り過ぎるくらい必死に頑張ってきたのに、そうじゃなかったことに氣がついて肩の力が程よく抜けてリラックスした分、他のことにエネルギーを回せてもっと楽しむことが出来る余裕が出てきたようです。そして、帰り際には「頑張って楽しく生きます」と。

楽しむことも頑張りそうな勢いに復活していたのですが、本来の質として頑張らなくても情熱をもって集中して一生懸命に取り組む傾向がある場合には「頑張って」「頑張る」と言う言葉が出てきたときは、既にやり過ぎている傾向があります。

 

だからと言って、頑張らなくていい、一生懸命に取り組まなくていい、働きかける行動をとらなくていいということではなくて、バランスをどのようにとることが重要かと言うことになります。

 

幸せになるために一生懸命に頑張っているのに、どんどん苦しくなって幸せを感じられなくて『何かが違う』と感じるのであれば、その感覚があなたの答えになります。

昨日のお話しで、幸せになる許可を自分に出すということに関連すると、この方の場合は、「私の周りに幸せは既に存在していて、頑張らなくても手に入るもので、そしてその幸せを受け取ることのできる私です」という許可を出すことになり、同時に、「幸せは頑張らないと手に入らない」という刷り込み・思い込みを手離すことになります。

 

このように氣づき手放す度に、顕在意識と潜在意識の隔たりや葛藤が解消されていきます。また、潜在意識に見ないように隠してきたものも意識に浮上させて氣づくことで手放されありのままを受け入れていきますから、いつも自然体でリラックスした状態でいることがしやすくなります。

幸せを望みながら幸せを拒む状態を創っていたのが自分だったことに氣がついたあなたは既に幸せなのです。

後は幸せになるしかないのですから。