性格で「まじめ」は、長所となりますが、「まじめ」の認識をわたしたちは間違って認識していることもあります。
私自身は、「まじめ」というと、ルールを守ったり、融通が利かなくて頭の固い人というイメージを持っていて、実際、自分も『まじめにしなきゃ!』と、決まりや規則をしっかり守り従うことをしていました。
ですから、学校に入学した時は、校則を守れるのか不安になったり、卒業できるのか心配するほどで、親や先生の言うことを聞いていました。
「いい子」を必死でやっていました。
こうなると、自分の人生を生きることは難しくなります。
人の価値観で、人の人生を歩むのはある意味責任逃れをしやすく楽ではありますが、何かを達成しても満足感は弱く、生きている感覚が薄いのです。
そして、結果は出ても、自信にはなりにくいのです。
人の価値観やルールで生きているので、自分が何をしたいのかということを感じることもできずに、進路も決められず、周りのアドバイス通りの選択をして、ロボットのように生きていたのだと思います。
校則を守る、親のいうことを聞くということを選択したのは自分ですから自己責任なのですが、自分以外の人たちの価値観で生きることになるので、成長とともに自分の中に違和感を感じるようになり始め、そこから自己探求がスタートしました。
本来の「まじめ」とは、自分の人生を生きるということです。
自分の内側の声を聴き、その声に従っていきることがまじめに生きることです。
自分の人生の役目を果たすということでもあります。
それを知るまでは、外側の権威に従って生きていたので、自分に自信が持てないのは当然のことなのです。
自分で何をするのか、することをどのようにするのかということを決断することは楽ではありませんが、その代り自由を手にすることが出来ます。
そうやって、決断したことを実行して達成することで自信がつきます。
その積み重ねて、自分の人生が出来ていきます。
ここでいう自信は、自分を信じるということであって、「出来る」か「出来ない」かという意味ではありません。
誰かの価値観や誰かの引いたレールの上を生きているとき、自信を持つことは難しく、
自己の責任において、内側の声に従って選択をすることで自分の人生になっていきます。
それは、他の誰かが知っているものではなく、あなたが生まれてくる前に約束してきていることです。
その答えは、あなたの内側にしかありません。
「本当にはどうしたいの?」と自分に聴くことです。
自分に素直であれば、自分の道を歩むことはしやすくなります。